知らぬ人の通夜に参列した。
静かでゆっくりできるので、心を落ちつけたい時は教会の聖堂で時間を過ごすことがある。その時もちょうどそんな時。今日はいつもより人が多い。そしてみんな喪服。黙々と何か準備をされている方に尋ねると、これからお通夜があるとのこと。なんの信仰もなく、ましてやキリスト教の信者でもない私でもその通夜に参列してもよいかと重ねて聞くと、どうぞと言って下さった。それでそのままそこにいさせてもらうことにした。恥ずかしいくらいの普段着で。
いただいた式次第と故人のお写真。
・・・そうか、ここの教会でも働いておられた修道士さんだったのか。
・・・スペインでお生まれになったんだ。
そして通夜は始まった。
このようなキリスト教の通夜は初めてだったので、見よう見まねで祈ったり歌ったりの恥ずかしいくらいの普段着の私。申し訳なく思っていたところに、故人を偲ぶ想い出が語られはじめた。その型破りな生き方に会場は笑いに包まれ、そして死を悼んだ。私も自分のぎこちなさなど忘れてご冥福を祈った。
その中で語られた言葉
「正しいことを言う、真面目な人は多くいる。しかし良いことをする、面白い人はそう多くはいない。あなたはまさにそのような人。」
また心を落ちつけたいときはあの聖堂の端っこに座って、もう知らぬ人ではないあなたに会いに行きます。恥ずかしくない普段着で。